【道祖神】愛知県高浜市の歴史研究

道祖神 トップ > 大正・昭和の状況

大正・昭和の状況

大正・昭和当時の道祖神の状況

市内の道標

大正・昭和の状況

戦前に地元の新聞で道祖神が下の病気のご利益があると紹介され多くの人が道祖神像を削り石を持ち帰ったため表面の造形は崩れている。 当時それを嘆いた岡崎の人が道祖神を写真を残したとされる。 大正九年に、現在地に移された時にはすでに文字が目視できない状態であったとされています。 江戸後期から大正九年までの100年程で文字が判別できないほど劣化するものなのでしょうか。 他の道標と比較してみても考えさせられます。 また文字の筆跡が同じものがあるかを探してみました。 高浜市が保管をしている古い道標がありましたのでそちらと比較してみましたが特に似ていると思われるものはありませんでした。 地蔵に文字が彫られているものを探してみたいのですが、これは開発により撤去されたり移動されることもありかなり追跡が難しいのでそちらは見ていません。 やはり古い時代のものと考えるべきなのでしょうか。 道祖神の文字は大学や研究者により判読作業や拓本が試みられ文字が判別されました。 現状はやはり目視で判読できない文字があります。 一眼レフで撮影して諧調を変えてみるとかろうじてわかります。

上へ戻る

造立年代の謎

道祖神の文字と市内の道標の比較

道祖神の造立年代

全国にある道祖神像は江戸時代後期に多く造られたと考えられている。 それは道祖神に彫られている年代の調査から推測されている。 もっとも古いものはいつ頃かということで意見が分かれているようで、諸説あるが江戸時代前期のものが最古とされている。 年代が掘られているものは全体の30%であり、その中で文字が拓本などで判別できるものが30%となっている。 全体からすると10%程度が年代がはっきりしているということになる。 ただ、これよりあきらかに古いと考えられるものも多く、実際のところはいつ頃から双体道祖神像が作られたかはわかってはいない。

上へ戻る

 
 

当サイトの掲載内容を無断で複製・転用・配布することを禁じます。著作権は当サイトにあります。

Copyright 2017 高浜の歴史研究 All Right Reserved.

道祖神 - 大正・昭和の状況